エッセイ 畦道つれづれ
散歩をしていると、いろいろなことが見えてきます。
空や雲、山々や大地、そして足元の草花たち―それらは、うつり変わる季節の中で表情を変えていきます。それらをじっと見つめていると、私たち人間は今もなお、自然の中で生きているのだなと、しみじみと感じます。
自然と人間の共生について、くらしの中で見つめ、考えてゆく―これは私の一番のテーマです。
このエッセイでは、佐賀の畦道を歩きながら、こころにふっと浮かんだことを、つれづれに書き記していこうと思います。
中島紀代子
1月
自分の軸
現在の1月は、旧暦の師走にあたります。温暖化のせいでしょうか、少しずつ季節の変化の様が、昔とはどこか違ってきているようにも思えますが・・・。
今朝もいつものように主人と二人、畦道を歩きます。散歩を始めたのは、もともとは体力、脚力をつけるためだったのですが、今はそのことより散歩を通して、刻々と変化する自然、季節の移り変わりを「肌で感じる」ことの大切さをかみしめています。つい、暦の中でしか読み取ろうとしていなかった季節、知ろうとしていなかった自然が、自分の目の前で少しずつ動いて、進んでいることが、肌で実感できるのです。いつもの同じ道、ザクザクと霜を踏む音。用水路の水は美しく光り、冷気に乗ってほんのりと枯れ草のにおいがします。それは子供のころ、地面に寝転がって嗅いだにおい。畦道にひっそりと生きる草たちの、いのちのにおいです。
立ち枯れた草たちには、独特の気品のようなものを感じます。白く老いてもその茎を天に向け、凛として立っている。そのすがたに、私はぶれない芯-心の軸のつよさを感じるのです。そして、思います―私自身の「軸」はどうだろう―と。
このささやかないのち、一本の枯れ草が教えてくれる芯-心の軸の大切さ。自分の生きる「軸」について、振り返り、考えるためにも、この散歩は私にとって大切な時間です。南の空を仰げば、360度、かたまりの雲がいっぱいで、ひとつひとつ模様と色がことなっています。太陽が高くなり氷が融け始めると、大地は光の海のようです。散歩の中で見る大いなる自然のパノラマの風景は、私と主人の最高の宝物です。
2月
一升=一生の枡
2月は節分。しつらえでも枡を重ねて「ますます」と縁起をかつぎます。そして「一升枡」の「一升」は「一生」ともかけて、しばしば語られますね。 さて、自分にとっての一升=一生の枡は、どのくらいの大きさなのでしょう。
生きるということは、自分自身の枡を満たしていくこと。でも、自分の力だけでその枡をいっぱいにはできません。自分以外の多くの人々の助力があってこそ、その枡は満たされていくのではないでしょうか。そして、枡に入れてくださる人が多くなっていくと、枡の大きさもまた、大きくなっていくのではないでしょうか。1月は楊柳亭での室礼展の準備、それにともなう取材、ラジオの収録等々、少しばかり多忙でした。しかし終わってみれば、よいことばかりが記憶に残っています。
盛物のひとつひとつに、参加してくださった皆様の思いを感じ、花や作物のいのちを感じ、そして、それらを作っていただいた生産者の方々とのつながりに、感謝をせずにはいられません。 私も活動を始めて、ちょうど15年。この室礼展をひとつの区切りにして、また新たなスタートを切ることができる、そんな勇気をいただきました。自分の、そして皆さんの「一生の枡」が、くらしの中の小さな感動を集め、見つめることで、ちょっとだけ大きくなったかも―そんな気がしています。
畦道を歩きながら室礼展、そしてこれからのこと、私の「一生の枡」のことに思いを馳せます。ふと白い頂の北の山々をあおぐと、遠くどこからか、ひばりの鳴き声が聞こえます。まだまだ寒いけれど、小さな、でも確かな春のきざしを感じます。
2月
「あたりまえ」に、「ありがとう」
6時15分、空には金星が光り、まだ暗いのですが、何だか暖かい。上着も脱がないとあつい、あつい。いつもの畦道、足元を見ると、草花の若い芽がぐんぐん伸びています。自然も私たちも、地球やがて空をみるみる赤く染めながら、お日様が昇ります。その光を浴びて、大地や草、山や川が一斉に輝き出します。その瞬間、お日様に向かって、無心に静かに手を合わせます。すると、「あたりまえ」の自然のめぐりに対して、「ありがとう」の気持ちが素直にわき起こってきます。
昨日までの私の中にたまったほこりが、すみずみまで掃除されたような、爽快な気分です。 私の散歩はスローペース。季節、自然のめぐりの中に息づく小さな小さないのちを感じながら、ゆっくりと歩きます。踏み出した一歩は、その瞬間に過去になります。そして、そんな一歩一歩が自分を前に進めてくれる。今この瞬間を懸命に生きていくこと、その積み重ねが未来をつくることだと、あらためて思います。過去を思いわずらっていては、正しい未来を築くことはできない。私を支えてくれる方々、そして、昇るお日様が私を励ましてくれます。「まっすぐに歩きなさい」と―。
「お~きれい」と、私の横で主人もまた、お日様が織り成す壮大な光のドラマに感動しています。光を浴びながら、長い影を背にして、今日もいっしょに歩きます。
3月
春、いのちの輝き
今日は3月3日。寒が戻り、冷たい風が肌を刺します。まだ「着更着」=如月=きさらぎ、ですね。そして今日はひな祭り、桃の節句です。現在は新暦で桃の節句をおこないますが、まだ桃は咲いていません。旧暦では1月の終わり頃ですから、本来の桃の節句は現在の4月初旬頃にあたります。新暦の暦通りに、当たり前のように桃の行事をおこなっていることと、自然の運行がずれていることを実感します。
雲と雲のわずかな隙間から、赤く美しいお日様の光がこぼれ、大地にふりそそぎます。空気は冷たいですが、その冷気が体の中をつらぬいて体内を起こしてくれる、その感じが大好きです。足元を見ると、たくさんのつくしが顔を出し、草花の若い芽が吹き出してきています。大地にたくましく芽吹き、立ち上がるそのすがたは本当に生き生きとして、美しい。きびしい冬の中で春の訪れを待ちながら、じっと我慢をして根をはっていたからこそ、春の野草たちのいのちは美しく輝くのでしょう。畦道の野草の、まさに「地に足がついた」生き方に、多くのことを教えられる思いがします。
朝の散歩は私にとって、自然、季節のうつろいやメッセージを、知識やことばではなく、肌で直に感じるための大切な時間です。今、世の中はデジタル時代。人間はあふれるような情報や知識の中に暮らしています。だからでしょうか。ともすれば私たちは、世界のあらゆるものが理解の下にあり、制御できるかのように錯覚してしまいます。しかし自然は、今も昔も変わることなく、絶対的な宇宙の法則の中で運行し、けっしてねじ伏せることはできません。人智のおよばないものへの畏れ、私たちはそのことを忘れてはならないのではないでしょうか。
中島紀代子 佐賀讃歌
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